= 加藤英夫のカードマジック研究報告 =

No.265

2014年5月30日

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なぜマジシャンはバリエーションを作るのか
= ジョン・ラチェルバウマー、"Sticks abd Stones"、第1号、1977年 =

ジョン・ラカバマーの文章の翻訳です。

なぜマジシャンは、マジックのやり方や手順を変えようとするのでしょうか。なぜ彼らは数え切れないほどのやり方を生み出そうとするのでしょうか。それにはもちろん、多くの理由があります。それがマジックを学ぶひとつのやり方であるということもあります。

確固たる基礎の知識は別にして、私たちは物事を吸収することと適用することから学びます。マジックについての明示された要素、もしくは暗に示された要素は、私たちの意識の中に浸透していきます。この種の整理されていない情報の中には、捨ててはならない基本も多く含まれているものの、他の雑多な情報と混じり合い、区別することのできない状態となり、混乱状態になり得ます。

そこにはトライ&エラーによる習得過程もなく、正当な学び方の方式というものも存在しません。その結果、1人1人のマジシャンが色々な要素を学び、それぞれの中でマジック観というものを形成していくことになります。そしてマジシャンのパーソナリティは、それぞれの要素に影響されて形成されていきます。そのような学び方の結果として、マジシャンの知性や才能や個性というものは統合され、1人のマジシャンを形作ります。

私たちがバリエーションを作る理由には、以下のようなものもあります。

(1) 自分の趣向性や能力に適合させるのに、選択肢を広げるため。

(2) 平凡さをさけたり、単純さを避けるため。

(3) そのマジックが繰り返し演じられるようなものの場合、変化をつけて繰り返せるように。

(4) そのマジックに固有のテクニックを、他の目的に応用するため。

(5)演じる状況に最適な方法を見つけるため。

(6)そのマジックに含まれる、手順、条件、矛盾、演劇的要素、などについて理解を深めるため。

(7) 思考の分岐から生まれる様々な方法を示し、それらと基礎的要素との関連を示すため。
(この文章はマルローを意識しているような気がします)。

このリストはけして完全なものではありません。皆さんが考えるための土台としてあげたものです。トリックを改良することについては含まれていません。バリエーションがトリックを改良できるかどうかについては、つねに疑問ですし、総合的な判断力が必要です。そのような判断に科学的な証明が可能でしょうか。たいていの場合、そのようなことは直感によって判断されます。現象ややり方が良いものだと感じることはあります。それがもとのやり方よりも優れていると感じることはあります。しかしそれがどうしてか明確に説明できるでしょう。

ひとつだけ明確なことがあります。それはマジックというものは、バリエーションによって発展してきたという事実です。優れた改良というものは生まれるべくして生まれたのです。マジックが進化したかどうかは観客が証明してくれて、たいがいの実際的な疑問に答えてくれます。いつの日にか、方法が改良されたかどうか、科学的に証明する方法が発見されるかもしれません。そのようなことが起こったとしても、バリエーションを作るというビジネスが途絶えるということはないでしょう。

それが理論的であろうとなかろうと、科学的な方法であろうとなかろうと、そんなことにはおかまいなしに、マジシャンはバリエーションを作りつづけるはずです。私たちは1人1人違う人間です。私たちが生きているかぎり、変化を追い求めるに違いありません。


以上がラッカバマーが書いていることの翻訳ですが、彼の文章はかなり難しい英語なので、意図をどれだけ表現できたか自信がありません。

ラカバマーが触れていないことで、バリエーションを作る理由がいくつかありますので、私も書いてみたいと思います。

まず、考えるということは人間の本能であるということです。少なくとも私にとっては、考えることは生きていることの意味です。カードマジックを考えないなら、他に世に残すものがない私としては、生きていても意味がないと思います。それは生存本能です。

当然ながらその本能は、考えることを喜びとしてくれます。考えてアイデアを生み出して、それを発表することに匹敵することは、この世の中にあと2つしかありません。家族と喜びをともにすること、とくに孫の成長を見守ること、それと美味なるものを飲食するということです。

エドワード・マルローのことを、クレジットに関して問題とする人もいるかもしれません。あまりにも多くのバリエーションを発表したことについては、賞賛する人と批判する人に分かれます。私は賞賛も批判することもありませんが、彼が創作とバリエーションにあれだけ情熱を傾けたことについて、その生き様について批判する気持ちにはなれません。あたかも自分もその血を受け継いでいるような気がするからです。

マルローは、けして収入のためにマジックを考案し、60冊もの著書を書いたのではありません。パフォーマーではないマルローは、60冊の本の収入からどれだけのものが得られますか。せいぜい数年分の収入です。そもそもマルローは優秀な機械設計者でした。マジックは本業ではななく、マジックへの情熱からあれだけのものを生み出したのです。

それに対して、正反対のバリエーションを生み出す理由があります。それはそれを売って収入を得るという理由です。この理由は善なるマジシャンによっては、その代価に見合う見事な作品を結実させてきました。ところが悪なるマジシャンによっては、邪悪なる作品の山を生み出してきました。とくにインターネット時代の今日、買っても使えないものがどんどんと出てきます。

話が逸れかかっていますので、もとに戻しましょう。私がバリエーションを作るときの方針について書きます。私がバリエーションを作ることの理由は、上記の本能的なことは別にして、つぎのふたつです。

1.原案を改良して、よりレベルの高いのものを生み出すこと。(なぜ、ラカバマーがこの理由を含めなかったのか不思議です)。

2.バリエーションを考える過程で、思考を枝分かれさせて、原案とはかなり違う現象や方法を見つけられるのを目的とする。

その過程で、そのときは役にたたなかった様々なアイデアが見つかることがあります。それらは捨てることはありません。のちに何か他のアイデアと結びついて、優れたものとして結実する可能性があるのですから。でもそれを発表してはいけません。自分の頭の中、もしくはノートの中に蓄積していくべきです。

ダイ・バーノンは、ほとんど思考中のものを発表するということはありませんでした。ですから発表されたもののほとんどが、完成度が高く、クラシックとして残るものが多くあるのです。

はてさて、とりとめのない話になってしまったかもしれません。もしも私が「どうしてバリエーションを考えるのですか」と問われ、一言で答えなければならないとしてら、つぎのように答えるでしょう。

「考えるのが面白いからです」と。