= 加藤英夫のカードマジック研究報告 =

No.277

2014年8月15日

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ダイ・バーノンの言葉
= 雑誌"マジック"、1993年9月 =

1992年8月21にダイ・バーノンが逝去して1年後、追悼の意味も込めてバーノンの言葉が紹介されました。雑誌"マジック"、1993年9月号から翻訳して記録しておきます。

マジックというものは、私たちが他の人たちよりも、より注意深くなければならないということを教えてくれる。

この言葉だけから、バーノンが言っていることを理解することは困難です。私の解釈としては、マジシャンがやっていることを観客から見たら、おかしいと思われることが多々あるので、細部に配慮を配る必要がある、というようにとらえます。

あなたはあるカーディシャンを見て、すぐ熟達したカーディシャンかどうかわかります。熟達したカーディシャンは、デックをテーブルに置くときも、きちっとそろえて置きます。

このことは、インターネットの動画を見ればよくわかります。カードをきちんと置くかどうか、使う道具をどこに置くか、というマジックの初歩的なことだけでなく、きちんとしたテーブルやセッティングの中で演じているかどうか、マジックを始めるまえからレベルがわかってしまいます。

カードというものはデリケートなものです。花のようなものです。そのような感じで扱うべきです。

イチローが使う道具を大切にするのは有名な話です。マジシャンはとくに道具を扱うところを見せるのが仕事ですから、乱暴に扱うのはもってのほかです。

つぎのような格言があります。「神を信じなさい。だがつねにカードをカットしなさい」

これを理解するのは不可能だと思いましたが、無理に解釈するなら、神というのをポーカーにおける他のプレイヤーに置き換えると、人がカードをシャフルしたあと、あなたがカットすることが重要だ、という意味であると思えます。しかしこれはマジックにどのように関係してくるのでしょうか。

これは自分からの視点ではなく、観客からの視点でとらえると、ひとつのことが浮かび上がってきます。すなわち、マジシャンがデックをシャフルするだけでなく、シャフルのあとにカットすることによって、カードの位置を変えた印象を強められる、ということです。かなり勝手な解釈かもしれませんが。

ドクターエリオットは、カードマジックの世界を変えた人です。私は彼と親友になりましたが、彼はよく言ったものです。"ダイ、面白いことにカードマジックはとてもシンプルなものだ。ビー、ナチュラルという2つの単語で表現できる"。

これはその後、ダイ・バーノンが"ビーナチュラル"ということを強調するきっかけとなった言葉です。バーノンの発案ではなく、エリオットの言葉だったのです。

私はどんなことにも興味を持ってきたが、マジックは他のものと違って、'完璧'には到達できないものです。完璧に1歩近づいたとき、さらにその先に何かがあるのが見つかるのです。

たぶんこのことはマジックの世界のことだけではないと思いますが、マジックというものが他の技芸ともっとも異なるのは、マジシャンの側から見たマジックと、観客の側から見たマジックというものがつねに存在するからかもしれません。音楽なら、完璧な音楽なら、演奏者も聴衆も同レベルで感じることができます。

しかしそのように無理に解釈するよりも、バーノンがつねにマジックを磨き上げ続けてきたという、その姿をしっかり見つめることが、この言葉から得られる教訓だと思います。

私がある人にマジックをやって見せたとき、"そのやり方なら私もできますよ"と言われたときは、ちょっと嫌な気がします。その人にやらせてみれば、たいていその人は私とは同じにはやっていないのです。

これはおそらく、マジックを学ぶ人が、表面的には学んだ通りに演じていても、大切な部分が間違っていたりするのを指摘しているのでしょう。それはこのあとの言葉を読めば確信できます。

カードトリックをマスターしたとき、達成感を得ることができます。でもたいていの達成感を望む気持ちは、クリスマスでプレゼントを待っている子供の気持ちと同じです。クリスマスが過ぎると、その喜びは消え去ります。ですがマジックにおける達成感はも、そのようなものであってはなりません。そもそもマジックには達成する頂というものは存在しないのです。

磨き上げてより一歩ずつ完璧に近づいていると感じたとき、あなたの喜びは心の中に蓄積されていくはずです。このような感覚は、どのようなアーティストでも持っているものだと思います。

バーノンからマジックのやり方を学ぶだけでなく、このようなバーノンの言葉からエッセンスを吸収することによって、マジシャンとしてひとつ階段を上がれるような気がします。