= 加藤英夫のカードマジック研究報告 =

No.278

2014年8月22日

応援団サイト



Card Magic Video Lesson 第31回

0209 http://www.youtube.com/watch?v=wizP3kRE4Rc&feature=youtu.be

マジックカフェでこの映像が本人によって紹介されましたが、評判はよくありませんでした。現象としてつぎのようなものでした。

相手が選んだカードがデックに戻れさて行方がわからなくされたあと、選んだカードを見つけるカードとして4枚のJが見せられます。そのうちの相手が指定したJを裏向きに置きます。デックをディールして、相手がストップをかけたところへ1枚のJを表向きに入れます。それをあと2回繰り返します。

デックをリボンスプレッドして、1枚目のJの隣りのカードを見ると、選ばれたカードと同じ色のカードです。2枚目のJの隣りのカードを見ると、選ばれたのと同じマークのカードです。3枚目のJの隣りのカードを見ると、選ばれたカードと同じ数のカードです。そしてわきに置いてある裏向きのJを表向きにすると、それが選ばれたカードになっています。


私も見たとき複雑な感じがして、とるに足らないトリックだと思いました。何がいけないのだろうかと考えました。その根本的な問題は後まわしにして、この演技でまずい点をあげておきます。

まず、4枚のJのうち、相手に指定させたマークのJを裏向きに置くという部分です。ここで4枚の中から相手に1枚指定させるということには、不思議さや味わいを増す効果はありません。たんに3枚を表向きに置き、「この1枚は最後に使います」と言って、裏向きにわきに置くだけでよいのです。

観客に余計なプロセスを見せないということは、現象をクリアに見せるのに重要なことです。これは天海先生からもよく言われました。「余計なことはやってはいかんよ」と。

つぎに、Jの隣りのカードを表向きに返して、色とかマークとか数について述べたあと、それらをJと交互にして重ねていくというのはよくありません。あくまでもJはそれらを見つけるために使ったのですから、見つけたカードは前の方に置き、Jはわきに置いた方がよいと思います。

このことも、現象をクリアに見せることにつながっています。色を示すカード、マークを示すカード、数を示すカード、とさし示してきて、4枚目をさし示して、「これはあなたのカードそのものを示すカードです」と言って見せる、とした方がいいのです。ですからそれらのカードをJと混ぜてはいけないのです。

最後に選ばれたカードを現したとき、他のカードといっしょにしてしまいました。それがクライマックスなのですから、表向きにして前の方に置くべきです。

以上3つのポイント、余計なプロセスは省く、印象づけたい要素はクリアに見せる、クライマックスはインパクトを強く、これらのポイントは、現象をクリアに観客の心の中に届けることにつながるのです。

さて、このトリックの根本的な問題です。それは4枚のJを使うことについて、たんに「選ばれたカードを見つけるのにこの4枚のJを使います」と言っていることです。そこにもっと明確な演出を適用したとすれば、このへんてこりんなトリックは、いっぱしの作品になると私は考えました。

それは、4枚のJを、ある事件の目撃者とする演出です。私が思いついたその演出は、演出アイデアとして明確に記録にとどめる価値があると思い、あえて原案者の名前とともに、合作として記録させていただきます。

最後の証人
K.マクニール+加藤英夫、2013年11月8日

「ある事件の裁判で、検事側は4人の証人を用意していましたが、決定的な目撃者は最後に残しておきました」と話をして、裏向きに1枚のJを置きます。「1人目の目撃者が色をおぼえていました。2人目の目撃者がマークをおぼえていました。3人目の目撃者が数をおぼえていました。そして4人目の目撃者は、犯人を携帯のカメラで写していました」と話をします。「彼が撮影した証拠写真はこれです」と言って、裏向きのカードを表向きにします。

行う操作に対して、演出に適合した意味づけがされているか否かによって、無味乾燥なマジックになるか、エンタテイメントになるかの違いになる、というひとつの例でした。セルフワーキングの大傑作である'ジェミニツイン'において、双子の話をしないで演じることを想像してみてください。演出というものが、操作に正当性を与えると同時に、その操作に面白味を与えていることがよくわかると思います。