= 加藤英夫のカードマジック研究報告 =

No.282

2014年9月19日

応援団サイト



ディスプレイ過多に要注意!

私はかねてから、ダローディスプレイに疑問を持っていました。裏向きと表向きで混ぜたのだから、バーノンの原案程度のディスプレイのやり方で、混ざったことを表現すれば十分だと思ってきました。

ダローディスプレイはかえって効果を減じるのではないかという私の懸念を、まさに適確に代弁しているエッセーを見つけました。2013年3月12日に、ジョン・ラッカバマーは、ジニーフォーラムでつぎのように書いています。

'トライアンフ'の本を書いた著者だからといって、オーソリティのように意見を述べるつもりはありません。しかしながら私は、長年にわたり、数多くの人々にトライアンフを見せて来ました。その中で、裏と表がよく混ざったことを強調するディスプレイを使うやり方は、必ずしもこちらの意図とは違う結果をもたらしました。

そのようなバージョンを演じると、たいていリアクションはよくありません。「どうですか、不思議でしょう」と問いかけると、たいていの答は、「カットしたりシャフルしたりひっくり返したりしているときに、向きをそろえたんじゃないですか」というものでした。

結局のところ、自分の腕の見せどころだとやったことが、観客にはまったく評価の対象にはならなかったのです。


ダローディスプレイを最初に見たときは、これは素晴らしいやり方だと思ったのも事実です。でもいま考えたら、それはマジシャンの知識を通しての感じ方です。マジシャンはあのようなハンドリグで、混ざったカードをもとに戻しているなどとは思いません。だからマジシャンに対しては素晴らしいと感じられるのです。ところが一般の人々にとっては、ラッカバマーが指摘したような印象を与えてしまうのです。

以前、オーディエンスビュー(観客からの視点)ということを書いたことがありますが、観客が一般の人々である場合と、マジシャンである場合とをはっきり区分けして、演じ方を考慮しなくてはいけない、ということを明記しておくことにいたします。

表現過多に関する例が他にもないかと考えたとき、'ブラウエアドオン'を思い出しました。"Card Magic Library"第6巻、17ページにつぎのように書かれています。

解説されているやり方では、4 枚のAを観客に見せる行為が3回繰り返されています。Aを抜き出すときにそれらがAであることがはっきりわかります。つぎにデックの上に置いて広げて見せています。そして最後にブラウエアドオンで1枚ずつ見せています。これは演技としてしつこいだけでなく、ブラウエアドオンの行為が浮き立つことになり、怪しさが発生します。

そして同書には、'ブラウエアドオン'の、はるかに効果的なやり方が解説されています。

フォールスシャフルやフォールスカットを必要以上に何回もやるというのも、怪しさを発生します。「なぜあんなにシャフルするのだろう」、「あのとき何かやってるのではないか」というようなことを考える人もいるでしょう。

ここでマイケル・クローズが"ワーカーズ"の前書に書いていることを思い出しました。彼はマジシャンになるときに、ひとつの方針を立てたと言います。彼は、観客が「このようにやっているに違いない」と、やり方を感じるようなやり方はしない、ということです。と同時に、「どうです、すごいでしょう」というような自分の腕を誇示する見せ方をしないということです。

クロースは自分の腕を見せることで賞賛されるのではなく、奇蹟のように見える極上の不思議さを提供することで賞賛されることを選択したのです。

そのクロースの考え方が、ラッカバマーが述べた、"自分の腕のみせどころだとやったことが、観客にはまったく評価の対象にはならなかったのです"と書いていることとオーバーラップします。

その考え方がテクニックの表現過多と関係あるとしても、ダローディスプレイのように、とくにすごいテクニックiは見えないようなことをやることと、どのような関連があるのだろうか、と感じる方もいるかもしれません。

すごいテクニックをやって見せるのも、巧妙だと思ったことをやって見せるのも、自分の腕を誇示しようという気持ちから発しているのは共通しているのです。

ダローディスプレイから始まって、話が精神論のようなものになってしまい、ダロー師には迷惑な話かもしれません。ダロー師は素晴らしいマジシャンであり、私の好きなマジシャンであることを言い添えておきます。