= 加藤英夫のカードマジック研究報告 =

No.334

2015年9月18日

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女が女を演ずる

9月15日の朝日新聞に、マジシャンに役にたつと思われるエッセーがありました。1ページの左下隅に「折々のことば」というタイトルで、鷲田清一氏が書かれているものです。引用させていただきます。

何が足りないのかっていうふうに思うわけです。女が女をやるのにね。
                           杉村春子

女を演じるとはどういうことか。女のリアルを捉えるためには、意識を研ぎ澄ませなければならない。自然の女のままでいたら、あるいは惰性のままの女でいたら、女の本質は見えてこないから。本質を捉えるのには、余計なものをそぎ落とさねばならない。そういう意味での虚構が女優業には必要だと、D.シュミット監督の映画「書かれた顔」のなかで杉村は語っていた。


「マジシャンはマジシャンを演ずる役者である」というウーダンの言葉は、"マジシャンはジャグラーじゃないから、テクニックを見せびらかすのはよくない"ということを指摘していたのが、いつの間にか、"マジシャンを演ずる"という、演技についての名言として扱われるようになりました。

しかし間違った解釈も重要であることは、いかに多くのマジシャンによってそれが引用されてきたかでわかります。ですからここでも、そちらの解釈に合わせて、杉村春子の言葉をかみしめたいと思います。

「女が女をやる」という言葉を聞いて、すぐ「私が私をやる」という言葉が浮かびました。「自分が自分をやる」と置き換えることもできます。

私はステージマジシャンではありません。研究家としてのマジシャンです。ですから人格を変えて演技する必要はありません。普段どおりの私で演じればよいのです。自分が自分をやるなら、何も意識せずに自然に演じればよいと思います。いままでの私ならそう思います。

しかし今回のエッセーを読んで、自分を表現することを意識してマジック演じなければ、自分らしいマジックを表現できないのではないか、と思ったのです。さらに考えると、自分という研究家としてマジックを演ずるには、どのような研究家であるかをイメージして、それに合うように演技しなければならないということです。

短いエッセーが大切なことを教えてくれました。このエッセーを読んで、すぐに"書かれた顔"で検索をかけたら、杉村春子が前述の言葉を語っている動画を見つけました。板東玉三郎が女形について語っている中で、杉村春子も語っているのです。以下のアドレスにアクセスすれば見ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=D_ByGXCey68