カードマジック研究室

No. 010

2016年9月23日




へクター・マンチャの素晴らしさ

昨日は第58回テンヨーマジックフェスティバルでした。さすがにFISM優勝者のへクター・マンチャのマジックは素晴らしかったです。おそらく見たマジシャンの誰もが、やり方の一部分も見抜けなかったことでしょう。そのぐらい彼は革新的な手法を編み出したのです。先日、Mr.マリック主演のテレビ番組でマンチャも出演したので見て驚かされましたが、生で見れば少しは見抜けることがあるかと思いましたが、テレビで見たときとまったく同様に打ちのめされました。

種が見抜けないということが素晴らしい、と語ることはマジックを鑑賞する視点としてはプアであるかもしれません。しかしながら、その点に非の打ち所なく、限りなく魔法に見えたことは、いままでの経験にないことです。もっと的を絞って語るのが許されるとしたら、彼の’ネタ取り’の斬新さです。まったく気配さえ感じられませんでした。

しかしながら見抜けはしなくても、「これしかない」という原理は想像しています。正しいかどうかわかりませんが、私の想像が正しいとしたら、むしろ本当に画期的なことです。

私の想像に糸口を与えたのが、最後のシーンです。カードが空中に舞い上がっていきます。あのシーンがなかったら、私の想像も浮かばなかったかもしれません。ということは、あのラストシーンは望ましくないのかもしれません。カードが天井に上がっていくのは、誰にでもやり方がわかります。

最後にカードが空中に上がっていくのと、彼が舞台に登場して上を見上げて「困ったな」という演技をするのは対になっていて、おそらく何かストーリー的な意味があったのでしょう。私には意味がわかりませんでした。最初に「困ったな」という演技をしたのが、本当に何かのトラブルがあったのかなと感じてしまいました。

私は彼の演技が終わったとき、スタンディングオベーションをしようとしたのですが、誰も立とうとはしながったので、上げかけた腰を下ろしました。なぜスタンディングオベーションが起こらなかったのか。それはもしかすると、やり方を見抜けなかったことに感動したのは、私のようにその点のすごさを強く感じた人であって、多くの人にはその点の感動がなかったのかもしれません。

そのあたりに、見る人の視点の違いによって評価が異なる理由があるのかもしれません。マリックさんの番組で、東ちづるさんが、伝々のマジックを見て、「私こういうのが好きだわ」と言ったのが印象的でした。私の妻にも意見を求めたところ、マンチャよりも伝々のほうが素敵だと言っていました。

ここまで書いてきて、天海師に言われた言葉を思い出しました。「加藤くん、○○をネタ取りに使われたら、そりゃ見抜けないよ」と。そう言えば、天海師がそのようなネタ取りをしていたことは、”天海奇術講座”に書かれています。そんなことを思い出させないぐらい、マンチャのネタ取りは完璧でした。

ネタ取りに感動する私を許してください。ネタ取りを完璧にやるということは、プロダクションマジックにおいて、絶対にクリアしなければならないことです。体を左に向けて右手を空中に伸ばし、左手で体の陰からネタ取りするのは、いくらスムーズにやっても、あとからでも気づかれてしまうのではないでしょうか。

そのように書いて、また天海師の言葉を思い出しました。「体の前でネタ取りするのは高級テクニックだね。右手で内ふところから何かを出そうとして、反対の手が衿の縁をつかむ、何かを取ってきた右手に同時にスチールしたと思わせておいて、じつは衿をつかんだ左手でスチールするというやり方があるよ」と。

そう言えば、体の前でネタ取りするというのは、韓国のマジシャンたちによって発展させられました。もしかするとマンチャのネタ取りは、そのことに刺激を受けで、体の前どころか、いま観客の視線を集めている主たる手の動きそのものの陰で、ネタ取りをしているのかもしれません。いいえ、陰ではなく、主たる動作にオーバーラップさせるから見抜けないのに違いありません。

当分の間、マンチャミステリーは私の頭を悩ませそうです。